国際協力, 徒然なるままに, 人生のセンタク

10年前と同じことで悩んでいる

10年前と同じことで悩んでいる

バングラデシュ、ロックダウン25日目。

 

単調な毎日。

 

ひたすら家に引きこもっている。食料の調達は、家の隣にあるスーパー。衣食住は問題なし。そして、特に大きな危険を伴う訳でもない。

 

感染拡大を助長しないよう、少しでも貢献出来るよう、ずっと自宅の中にいる。

 

一方で。一歩外に出れば、そこはバングラデシュ。その日暮らしの人達が、すぐ近くにいる。

 

現地交通機関のCNGやリキシャー の運転手、屋台の店主、お店のセキュリティー、路上の売り子さん、そして物乞いの人達…

 

彼らは、街を行き交う市民から得る、微々たる収入で「生計」を立てていた。今となっては、街を行き交う人はいない。彼らの日々の収入に貢献できる人は、いないのだ。

 

いま彼らは、どうやって「生計」を立ているのか。何処でどうやって生活しているのか。そもそも、生活出来ているのか(…生きているのか?)。

 

そして。彼らに対して、私はいま、何ができるのか。

 

目の前に、困ってる ひとがいる。助けも、きっと求められている。

 

お金をあげるのが正解? はたまた、稼ぐための仕事を与えるのが正解?

 

よく例えられるのが、困った人に「魚」を与えるのか、それとも「魚の釣り方」を教えるのか、という二択。

 

今日の生活すら苦しい人達。魚をあげれば、すぐ食べることが出来、生きながらえることができる。

 

でもそれを来る日も来る日も続けることは、結果的に彼らのためにはならない。だって、自力で生きて行くことができないから。

 

魚の釣り方を教えることで、彼らは自分達の力で生きる術を身につけることができる。

 

でも待って。絶賛今困っている人達に対して、魚の釣り方を教えたところで、彼らは実践する?慣れてない作業、上手くいく?

 

ああ。

 

10年前と同じことで悩んでいる。


学生時代に遡る

学生時代。国際協力という分野に深い関心を持っていた。

 

国際協力、具体的に言うと、開発人類学というものを学んでいた。

 

開発人類学とは…社会開発に関わる現象を、文化人類学の立場からアプローチする学問のことです。

 

(えっと。自分なりに解説させて頂きます。)

 

例えば、ラオス🇱🇦のインフラが整っていない件について。ラオスならではの民族構成や社会的基盤、宗教、政治体制、諸外国との関係性、などなど、関わる全ての状況を考慮しながら、現状なぜこうなっているのか、ということを客観的に紐解いていく、という感じ。完全無欠の答えをだす、というのではなく、その土地ならではの、昔からの風習や人々の営みを知り、その土地にとって必要な開発すべき点があれば、地元と寄り添って共に改善させていく、という認識(定義は明確でない笑)。

 

人によって意見は違うと思うけど、私は割と「事件は現場で起こっている」と思っている節があって。いくら文献読んでも、映像みても、それが本当かどうかは、自分の目で確かめないと分からない、と思っていて。

 

学生4年間を通して、3度のフィールドワーク(インターン)に行きました。

 

1. Manila, Philippine

事件は現場で起こっている (フィリピン・マニラ編)

 

2. Nairobi, Kenya

事件は現場で起こっている (ケニア・ナイロビ編 1)

事件は現場で起こっている (ケニア・ナイロビ編 2)

事件は現場で起こっている (ケニア・ナイロビ編 3)

 

3. Phnom Penh, Cambodia / Vientiane, Laos / Yangon, Myanmar

 

この3度の経験を通して。

 

開発人類学という学問を、「大学時代に勉強したことのある分野」ではなく、「自分の行きていく道」にしようと、決めました。

 

途上国に魅せられた。現地で出会った現地の人達や、現地で生きている日本人の姿をみて、一生懸命「生きてる」姿に、ジェラシーを感じたのが、正直なところ。

 

こんなに「生きる」って営みは美しのか、と。

 

なんか格好付けてるように感じるかも知れないけど笑、「人間が一生懸命に生きる姿って、美しいな」ってことに、気付いてしまったのです。

 


世界の底辺を見た気がした@ケニア

今まで30ヶ国くらい行ってきたけど、1番強烈だったのは、ケニア。

 

たった30ヶ国、しかも大半は旅人として行っただけで、何が分かるかって言われたらそれ以上何も言い返せないけど。

 

なんだか本当に、世界の底辺を見た、そんな気がした。

 

インターン先は、首都ナイロビ市内にある”ムクール・スラム”というスラムの中にある、小学校。現地NGOが建てたのはいいけど運営が回らない、生徒はいるけど先生が圧倒的に足りない、ということで、曲がりなりにも「小学校の先生」として、働いてきた。

 

初めてスラムを目の前にしたとき。足がすくんだ。体が動かなくなった。

 

(写真は、ケニア最大級のキベラ・スラムの写真を拝借したもの)

 

「ここで、人が生きてるんだ。人が生まれ、人が死に、日々生活している人がいる。こんな場所に…」

 

日本で生まれ育った私は、どうしても自分の境遇と比較してしまっていたんだけど。日本のどこを探してもないようなとんでもない光景が目の前に広がっていて。

 

その現実を突き付けられた時に、私はいま、何ができるのかという問いに対して、答えを出すことができなかった。

 

もちろん。インターンの3ヶ月間は、業務を全うした。沢山の生徒達と触れ合った。多くのことを体験し、学んだ。

 

(当時の生徒達。いま元気かな…生きてるかな…)

 

当時の自分なりの結論としては、上の「魚」を与えるのか、それとも「魚の釣り方」を教えるのかという議論でいったら後者だった。

 

支援慣れしていた彼らに対して、すこしでも自立する術を知って欲しいと思い、畑で野菜を育ててみたりした。

 

(実際に畑を耕している様子。芽は出たんだけど、学校で飼っている鶏にやられた。くー!!泣)

 

そもそもこの小学校の生徒達は、ストリートチルドレンやエイズ孤児が多かったので、親や親戚など近しい大人が働いている姿を見たことがない。根本的なところから教えなきゃいけなかった。今だに反省することが多い。

 

(生徒。かわいいでしょ。…3人とも、親御さんはいない。)

 

当時、大学の授業で、上村 雄彦先生 がアフリカのスラムについて仰っていたことを、未だに鮮明に覚えいる。

 

「初めてアフリカのスラムを目の前にした時、”どうだ、これを解決できるのか、見せてみろ”と言われた気がした」と。

 

見せてみることは、どう考えても、私には出来なかった。


私はいま、何ができるのか

時は流れて。私は今、バングラデシュのアパレル生産業に関わっている。

 

なんで”バングラデシュ”で、”アパレル”なのかは、こちらでお話させて頂いてます。

この国で迎える、4月24日

 

私はいま、何ができるのか。

 

魅せられてこの国に来て、住まわせて頂いている。でも、この国に、何の恩返しも出来ていない。

 

目の前に困っているひとがいる。その人達に対して、私はいま具体的に何ができるのか。


この国で迎える4月24日 (@2020)

昨今のコロナ禍において、もしかしたら被害は2013年のRana Plaza以上になるかも知れない。

 

当時の事件と比較するとしたら、大きな違いとしては、事件が起きているのがバングラデシュや後進国だけでなく、全世界ということ。

 

バングラデシュのアパレル生産業に関しては、関わる全ての人が甚大な被害を被っている。サプライチェーンの崩壊、という言葉がピッタリ。

 

ロックダウンによる縫製工場稼働停止により、商品を作れない。

 

緊急事態宣言により、日本を初めとした消費国で、商品が売れない。

 

商品が売れないことを分かっているから、生産オーダーを入れられない。

 

こんな八方塞がりな状態って、今まであっただろうか。分からない。

 

 

被害が甚大すぎる。

 

バングラデシュは、世界で2番目のアパレル生産大国。国の最大産業。

 

この業界が終わったら、この国も終わる。確実に。

 

国の経済が回らず、多くの市民が路頭に迷うという、地獄絵図が待っている。

 

どうか、その状態だけは避けたい。

 

私はいま、何ができるのか。

 

私たちはいま、何ができるのか。

 

その答えを、模索している。

 

急いで、答えを出さなければいけない。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中