国際協力

桃太郎は、ヒーローか。

桃太郎のお話。

昔むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。云々。

 

皆が知っている昔話です。

(↑かっこええ。)

 

桃から生まれた桃太郎が、おじいさんとおばあさんの愛情をたくさん受けて立派に育つ。成長してからは、仲間を集って、鬼ヶ島へ鬼退治に向かう。鬼を倒し、めでたし、めでたし。


…めでたし、めでたし?

皆のヒーロー桃太郎が、悪者の鬼を倒して、めでたし。と、お話は終わる。

 

…ちょっと待って。本当にめでたし?

 

確かに、桃太郎たちにとっては、めでたしかも知れない。

 

でも、鬼ちゃんの立場に立ってみて。

 

(↑かっこええ)

 

鬼ちゃんは、自分の仕事を全うしただけなのに、殺されてしまう。

 

そう。桃太郎の立場だけに立つのではなく、鬼の立場にも立って考えてみる。

 

そうすると、どうも簡単に「めでたし、めでたし」とは言えなそう。

 

立場を変えると、「正義」と「悪」は逆転する。のです。


僕のお父さんは、桃太郎というやつに殺されました。

見たことありますか。

 

 

2013年度、新聞広告クリエーティブコンテストにて、最優秀賞に入賞した作品です。

 

初めて見たとき、衝撃を受けました。と同時に、「そうか。その視点も考えなきゃ。」と、ハッとさせられたのを覚えています。

 

(にしてもすごいキャスティング。)

 

分かりやすく考えるとしたら…スダマサキが殺されてしまいフクくんが泣いている姿なんて、絶対に見たくないですよね。


ボクのお父さんは、ボランティアというやつに殺されました。

鬼の家族だけに限らず、「正義の反対」の立場の人たちは、世の中に沢山います。

 

下にご紹介する記事は、JICA青年海外協力隊の宮﨑 大輔さんという方が書かれたものですが、2013年に初めて投稿された頃からかなりの反響があるようです。

 

ざっくり、こんなお話。

—–

ボクは、山奥の貧しい村で、お父さんと暮らしていました。畑で取れたイモを食べ、時には山で鹿を狩り、自給自足の生活をし、お父さんと一日中一緒に過ごしていました。

 

ある日、ニホンという遠い国から「ボランティア」というやつがやってきて、お父さんにヤサイの作り方やオカネの稼ぎ方を教え始めました。

 

やがて、お父さんは一日中オカネのことばかり考えるようになり、ボクと全然遊んでくれなくなりました。

 

時は経ち。「ボランティア」というやつは、ヤサイを売ってオカネを稼げるようになったお父さんを見て、良かった良かったと言いました。

 

確かに、ヤサイを食べて栄養を採れるようなった。オカネを稼げるようになった。でも、お父さんは、全然ボクと遊んでくれなくなりました。

 

昔のようにボクと遊んでくれるお父さんは、もう、いません。

—–

 

※こちらに出展を(勝手に)載せます。興味ある方には、是非見て頂きたいと思います。

ボクのおとうさんはボランティアというやつに殺されました。「桃太郎から考える正義の反対とは?」

 

http://jiburi.com/seigi/

 


立場を変えると、「正義」と「悪」は逆転する。

「桃太郎」の話だけではなく、「ボランティア」の話もそう。

 

自分が良かれと思って行なっていることも、相手の立場に立って考えると、決して全てが良いことだとは限らない。

 

自分の価値観を押し付けているだけになっていないか。

 

相手の立場を考えられているか。

 

これって、常に考えなきゃいけないことかも知れないな。

 

桃太郎は、もちろんヒーローです。

 

でも、100%全員のヒーローではない。

 

色んな人の立場に立って考える必要があるってこと。しっかり覚えておかなきゃ、と思います。


追記: ボジア在住3年目突入を目前にして、思ふ。

桃太郎の話を通して、改めて「相手の立場に立つ」ということに関して考える。

 

私がボジアに本格的に移住したのは、2016年5月。もうすぐ、在住3年目に突入します。

 

「日本という国で生まれ育った。」という事実。この事実は、どうやったって変えることは出来ない。

 

そして。その事実が、時には自信となり、時には障壁ともなる。

 

(と、今は思っている。)

 

在住歴が長くなるにつれて、段々と、この国の色んな姿が見えてくるようになってきました。もちろん、住めば住むほどこの国のことを好きになる。もっともっと知りたいと思う。でも、それと同時に、マイナスの感情を覚える機会が無きにしもあらず、という感じになりつつあります。

 

目の前にいるボジア人のことを理解したい。でも、どうしても理解し難い。そんな場面に出くわすようにもなりました。それは、私が本気で彼らと向き合おうとしているから、という風にプラスに捉えることも出来る。でもその一方で、自分が日本で生まれ育って、デフォルトが日本であることが障壁になっているのかも知れないな、とも思うことも多々。

 

このことを、在住歴のさらに長い先輩達に相談すると、「自分もそういう時期があったよ。でも大丈夫。時間が解決してくれるから。」なーんて、ステキなアドバイスを頂けたりするので、今の私の感情が一時的なもので、今回のぼやきが「こんなこともあったなー」という備忘録になれば良いけど。

 

という徒然は、おーわり。

 

 

日本は、本当にとんでもない国だなあと思う。なんて洗練されていて、なんて整然としていて、なんて秩序のある国なんだろう。母国を外から見て久しい今だから抱く特別な感情、なのかも知れない。あるいはね。

 

日本で生まれ育った私と、ボジア人。完全に理解し合うことは難しい。

 

でも、「あーもー分かんないから、やーめた!」となるのではなく、何が大切か、というと…

 

理解しようとトライすること。それが一番、大切。

 

自分の価値観を押し付けるのではなく、相手の立場に立って考える。

 

(言葉でいうのは簡単だけど、難しいな。うん。)

 

 

※同じようなお話を、マリー・アントワネット バージョンでも書いております。

もしよろしければこちらもご一読ください。

「私たちは皆、マリーかも知れない。」

 

https://harukacambodia.com/2018/03/31/marieantoinette/

 

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