アフリカ

事件は現場で起こっている (ケニア・ナイロビ 編 3, 2011.8-10)

ナイロビでの、数々の強烈な体験の中から…

絞りに絞って、

①「スプーン一杯のヴァセリン」

②「慣れって怖い、のは世界共通」

 

の、2本立てで、お送りしてます。

 

ではでは。続きまして。


②「慣れって怖い、のは世界共通」

日本にいると、パイセン(ここではGokiburiのことを指す)が1匹いるだけで、というか雰囲気を察しただけで、足がすくむ。

 

足の感覚がなくなってきて、スーッと血の気が引く…くらい、嫌い。

 

パイセンと居合わせてしまった時なんて、硬直して…気を失う…くらい、嫌い。

 

でも、ケニアとかフィリピンとかカンボジアとかで、そんなこと言ってたら、1日に何度も気絶せねばならないわけ。

 

どこでも、えげつないけたたましいほどの数いるから。ほんとに。むしろ、パイセン達と共存。ペット、いや違う、生活の風景の一部。

 

気づいたらね…私…パイセンのこと、手で追い払ってました。

 

サッて。

 

つえー。すごい境地に達していました。笑

 

そういう類の慣れって、むしろ「生活力」というコトバで纏めることが出来るかも知れない。

 

そういうイミでは、「現場での生活力」を日々鍛えております。

 

アイズブレーキングはこのあたりにして、っと。笑


本題の「慣れって怖い」、話。

ナイロビのスラムに、通っていた日々。

 

スラムの小学校で、生徒達に勉強を教えていたんです。

 

生徒達は、それぞれの事情を抱えていました。

 

両親いない子、祖父母に育てられている子、親がHIV患者だったり、薬物中毒だったり、病気で寝たままだったり…本当に様々。

 

でも中には、両親がいるという子もいました。しかも、両親とも健常者。

 

その子の家に遊びに行ったんです。家庭訪問みたいなもんです。


ある事実を確かめるための、家庭訪問。

実は、行く前から、何となくわかっていました。ある、一つの事実を。

 

だから。家庭訪問時に、ご両親に、あえて、究極の質問をしました。

 

「何で、仕事しないの?」

 

そして。返ってきた答え。

 

「だって、ご飯もらえるもん。」

 

ほら。やっぱり。


慣れって怖い=>深い闇の正体

どういうコトかというと。

 

「援助慣れ」です。

 

自分たちが、汗水垂らして働かなくても、毎日毎日しんどい思いして動かなくても、食べていけるんです。だって、外国からの援助が入るから。タダで、ご飯が食べられるし、生活していけるから。


実際問題、現場では!?

現状、在ケニアの援助団体は、日系だけでも約20団体あります。世界各国の援助団体の数は、把握しきれない程です。

 

NGOの援助や外国からの支援によって育ってきた人達は、そりゃ働く気になんかなれないですよ。働かないで、生活出来ちゃうんですから。その生活しか知らないんですから。ラクしたいのは、人間のサガです。

 

汗水垂らして働くという経験をすることなく、一生を過ごして行く彼ら。

 

確かに、贅沢な生活は出来ないかもしれないけど、必要最低限の生活はある程度保証されている。というのが事実。

 

「援助」に「なれる」ということの怖さ…


一番の怖さは、「自立できない」ということ。

いつまでも援助の手が届いてしまうからこそ、「自分達の力で何とかしよう!!」という気が起こりづらい。

 

いつまでも自立する気が高まらない→援助が続く→自立出来ない→援助に拍車がかかる…

 

という、悪循環に陥っている訳です。


援助って…!?

与えるだけの援助は、簡単です。ベクトルが一方方向だから。

 

でも、自立してもらうのは、大変です。相手のヤル気を引き出さなきゃいけないから。

 

すでに相当なレベル感で援助慣れしてしまっている(あるいは国単位で援助慣れしてしまっている感の否めない)国に対して、出来ることって、何だろう。

 

それは、ひとつ。

 

「ヤル気」を出してもらうこと。です。

 

 

与えるだけの援助ではなく、協働する援助。むしろ、援助というコトバさえ間違っているのかも知れない。

 

 

「開発学」の教科書では、すごく素敵な内容が書いてありました。

 

「〇〇という援助団体が〇〇ドルの援助をし、そのことで生活難から免れた人は沢山いる…云々…」

 

…いやいや。

その場の問題を解決するための援助、ではなく、長期的視点で見て、援助国も被援助国にとっても、win-winになることをしなければ、結果的に状況はずっと変わらない。


やっぱり、事件は現場で起こっている。

現場に行くまでは、「援助」が結果的にケニアという国を苦しめているなんて、想像すらしていなかったです…

 

必ずしも、「援助」が100%良いこととは限らない、ということを、目の当たりにしました。結構な衝撃でした。

 

やっぱり。事件は、現場で起こっているんだな。

 

家庭訪問をした家族。数年経った今もきっと同じ生活を続けているんだと思う。あの子は、高校へ進めたのかな…心配だけど、でも現段階として私に出来ることは、何もない。出来ることが何もないっていうのも、なかなかしんどい。

 

現場に行かないと分からないこと、むしろその方が、沢山ある。

 

事件は現場で起こっている。

 

泥にまみれて、鰈(カレイ)のように、活動していきたい。(ね。#4魚住さん。)

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